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こんにちは、シナップエンジニアの村山です。

今回の記事はシナップの地方からの転職支援制度のご紹介をするために昔語りをする話です。本題の採用制度の話は最後にちょっとだけ書きます。

9割以上が新潟県民村山が都会民村山(神奈川県民なので都民ではないです)になるまでの話です。飛ばしてもいいですよ。
採用制度を知りたい方はこちら

  • この物語は一部ぼかしていますがノンフィクションです。実在する企業団体名などが登場します。

この話の登場人物

この記事を書いてるエンジニアの村山です。私の前職は地元の新潟県柏崎市でした。生まれも育ちも新潟県柏崎市です。 書き出してみると、いく先々でいろいろ潰れてる。

友人

実家のお向かいの同級生です。インドアに転向した原因の人。 別に嫌いでも恨んでもないですが現在は音信不通。今どこにいるんだろ?

父です。私にPCを買い与えた。エンジニアになった原因の人。 現役ではないけど、定年がのびーるのびーるに巻き込まれて60超えてもまだ何かで働いてる。政治が悪い。

じいちゃん

祖父です。元地銀のえらい人だったりなんかの研究所の職員だったらしいです。 物心ついた頃には引退していたので仕事振りはよく知らないですが、人脈が広い模様。

社長さん

社長さんです。前職の社長など。 現職の社長である坂西は登場しません。

エンジニアになるまでの話

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新潟県柏崎市で生まれました。田舎の戸建てに両親に姉と、世間一般でいう一般家庭と思います。 近場の幼稚園を出て、学区の小学校を出て、学区の中学校に入学しました。何代か前までは結構荒れてた中学で、田舎では珍しく窓に鉄格子がついてました。(鉄格子がついてたのは3階の3年教室だけで、脱走防止としか思えない)

この中学は生徒数の割に部活数が非常に多く、特に部活動をする場所がない問題が顕著でした。私は近所の友人や席が後ろだったやつ(名簿の1つ後ろ)に誘われて剣道部にはいりました。剣道部は部活動する場所がない部筆頭で、割り当てスペースは体育館のステージ上でした。ボロい校舎でステージ床は板で継ぎ接ぎしたとことかあって、そこで素足とかないわーっていう感じでした。

入部当初、1年男子は5人いました。「先輩と馬が合わない」「顧問が気に入らない」「やっぱり卓球したい」「素足になりたくない」とかいう、何言ってんだこいつらな理由で4人辞め、残ったのは私だけでした。

部活数多すぎ問題と入部1名が問題となり、翌年から募集禁止の廃部宣告をいただきました。ラストサムライでした。部活引退と同時に剣道部は廃部になります。最初のクラッシャー。

中学の部活のレベルは顧問が素人で練習相手の部員も足りない状態で、市の剣道クラブに入ってましたがここでも同期男子がいませんでした。

(時系列を正すと、近所の友人が剣道クラブに所属していて、それに誘われてクラブに参加して、剣道部にも誘われて、「先輩と馬が合わない」と部活もクラブもやめてって、最終的に部活もクラブも同期なしという状態になったのでした。)

この記事で剣道の話に触れるのは、剣道始めてアウトドアマンからインドアマンになったということです。

2年生になった頃、膝を故障しました。成長痛、オスグットシュラッター病です。中学時代に身長が30センチメートルほど伸び、急速成長のなか足をドンドンと叩きつける剣道をやっていたため骨が逝ってしまいました。両膝とも壊れましたが、1人世代でやめるもできず、サポーター巻いてそのまま続けていたので治りませんでした。今も正座できなかったりします。

走り回ったりする子どもでしたが、故障して体動かす遊びから頭使う遊びにシフトしていきます。

故障が発覚したころ父の会社の都合でノートPCを買うことになり、それを貰いました。PCデビューです。ネットデビューです。中二ですよ厨二。

剣道に引きずり込んでくれた近所の友人の誘いでオンラインゲーム(ラグナロクオンラインのβ時代)を始め、インドアライフになりました。もともとゲームもそこそこやってましたが、PCというかネットに出会って加速した感じです。(引き篭もりではないです。)

声も顔も知らない大人たちに混じってチャットやらゲームして育成されたのがこのいびつな人格ですよ。なんでか知らないですが反抗期もありませんでした。

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そんな中学生時代を経て高校に進学します。高校は地元の総合高校でした。剣道部は1年ちょっとだけ在籍。同期はいませんでしたので、先輩の引退の後退部して廃部にしておきました。2度目の剣道部クラッシャー。剣道部辞めた後は写真部にとりあえず籍だけおいてバイトしてました。

高校の話は特に関係ないのでまきまき。

高校卒業が近づきそろそろ将来何になりたいのかを考える時期で、結論保留のモラトリアムに用事はなかったので進路は専門学校を選択。

父「なんでも好きなことをしたらいい」

私「ゲームクリエイター目指すわ!」

父「ゲームはやめろ!」

という話があり、ゲーム開発系の科のある専門学校のWeb系の科に進みました。学校で友人作ってそいつに教えて貰えばいいわ、という理由からその学校の別の科に進んだ結果、そのままWeb系のお仕事に就くことになります。

進学したのは新潟市にある新潟高度情報技術学院という専門学校。今は新潟高度情報専門学校というらしいです。そこにあったインターネットビジネス科に入りました。

新設科で定員40名のところ入学者7名でした。即年募集停止。1期生にして幻の世代になってしまいました。時代が追いついていなかった。卒業と同時に廃科される3度目のクラッシャー事案でした。

新潟県は無駄に長く、新潟市は結構端っこの方で、一人暮らしを始めました。実家から通えなくもないのですが、雪降ったら遅刻確定だったのと一人暮らししたかったので親の金で一人暮らししてました。専門学生時代はバイトはしてませんでした。特に遊びまわってもなかったし、何やってたんだろう・・・。ってゲームか・・・。

学校ではHTML、CSS、JAVA、PHPの勉強から、情報処理技術者試験(当時の名前忘れました)の勉強・受験、Adobe系ツールの学習などをしました。特にPHPでプログラム書くのが面白くて、最後までゲーム科の友達とか作らず卒業しました。JavaScript勉強した覚えもないし、当時はまだオフにしろ時代だった気がします。

第1次上京の話

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学校にくる採用案内から1社を選びました。その会社は新宿にある通販関係の会社で、職種は確かWebデザイナーの募集だったと思います。会社の業務や要項の業務内容を見て決定。給料も新卒で手取り20万だったかな。

色々思うところがあるので、会社名は伏せてます。音楽性の違い的なあれだったと思いたいので、記事のネタにして迷惑かけたいわけじゃないし。

柏崎から新宿まで行ってなんかえらい人と面接、その日そのまま会長面接となって、その日のうちに採用通知をもらいました。交通費はでませんでした。

信条というかなんというか、保険かけて何校も同時に受験したり何社も同時に就活かけたりって不義かなーという考えがあって、選んだ1社目で決まったので就活はこれで終わりました。

結果から言うとその会社は2週間で辞めました。

制度や仕事のやり方など色々思うところがあって、ここにいてはダメだと辞めました。今もその会社は存続してるし、価値観の違いだったはずです。辞める時になんかいろいろ脅しとしか思えんこと言われてたのも記憶違いに違いないはずです。

ともあれ半月でニートになりました。早い。さすがゆとり世代。

当時引っ越してきたばかりのアパートは家賃二ヶ月分を前払いしていたので、きっちり残りの一月半を東京でニートしてました。27時間くらいぶっ続けでゲームしてたりいろいろぶっ壊れてたと思います。

高校時代の貯金によるニート生活を満喫し半月分の給料で新潟に逆輸入して第1次上京は終わったのでした。

第1次上京、こいつ・・・何もしてない・・・。

地元で就活した話

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逆輸入してしばらく、ニートしてました。就活といっても田舎である新潟で会社のウェブサイトみて募集探すとかできない(当時ほとんどの会社が自社サイトなんて持ってなかった)ので、ハローワークに行ってはいいやつねぇな〜って感じでした。

6月くらいだったかに市内でWeb関係の募集を発見。募集要項はWebデザイナーだったような気がします。応募しました。

後日面接を行うのでガストに来るように言われました。ガストで面接。そういうのもあるのか。

ピークタイムでもない田舎のガストは客数も多くないです。面接の日は平日だったしガラガラだったかと思います。

そんな中、なんかすごい車(車の知識に乏しいのでなんかすごい高級車だってことしかわからなかった)がすごい音でやってきて、駐車場に斜め止めするわけですよ。んでなんか手首がはではでしい人が出てくるわけですよ。それが応募した会社の社長さんでした。

私も人並みに緊張していたのであんまり面接の内容ほとんど覚えてないんですが、

社長さん「うち払いはいいんだけどさ」

私「?」

社長さん「アダルト広告とかやってんのよ。そういうの抵抗ない?大丈夫?」

みたいな話があったのは覚えていて、以後空返事になりました。

仕事ならやるけど、募集要項と業務内容違うじゃん。東京から出戻ってきて「アダルト広告作る仕事することになったわ!」とか言えるわけないじゃん。お断りじゃん。

後日不採用をいただきました。よかった。

地元で就職した話

じいちゃんから市内のSI系の会社を紹介されました。じいちゃんの現役時代のつてで、一度先方とあって話すことになりました。

その会社は株式会社 創風システム。前職(厳密には前々職ですが)の会社です。ネタバレしてますが採用されます。じいちゃんにつれられていざ会社訪問。

私、じいちゃん、社長さんという何故かじいちゃんも参加しての不思議な三者面談でした。顔合わせだったと思ったら即採用されました。

地元で働いてた話

Webシステム課に配属。辞令では確かWebエンジニアでした。Webシステム課はのちに解散されます。4度目のクラッシャー事案。これは私のせいじゃないし・・・。

いつだったか上司が「これからはCMSっしょ!」と言い始め、 CMSツールの Movable Type を使うようになりました。当時は4.2だったと思います。東京の教育系企業のサービスサイトを皮切りに、観光系のサービスサイトや市内企業の企業サイトなど結構な数のサイト制作を行いました。

しばらくして、Webシステム課は業績こそ右肩上がりでしたが目標到達ができず解散。業務内容は変わりませんでしたが、システム開発課に籍を移しました。

会社全体の業績は良くも悪くもという感じだったと思います。

2度目の上京を決めた話

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2011年3月、東日本大震災がありました。中越地震・中越沖地震と新潟県中越地方(新潟は北の方から「下越」「中越」「上越」あと「佐渡」という4区分で区分分けされてます)は直近で震災に見舞われており、揺れ自体はもはや慣れたものでしたが非常に長い揺れを感じました。

柏崎は世界一の発電量を持つ原子力発電所「柏崎刈羽原子力発電所」というものがあってこの原発や関連企業・その下請けなどが経済・雇用に結構な影響を与えています。(他にお菓子メーカーのブルボンや自動車エンジンパーツのリケンもある)

東日本大震災以降、原子力発電関係の社会的な風当たりが強くなり発電炉の停止、伴って経済全体が影響が出始めます。

その影響を受けたか受けないか、会社の業績もあまり良いものでなくなり、転職したわけでもないのに職歴が1つ増えるとかいろいろあって転職を決意しました。大人の事情なので察してください。

しかし転職するにも柏崎は経済的に閉塞しており、Web関係の仕事は皆無。当時25歳でもう一度上京するなら今が最後の機会かもしれないと謎の決心を固めたのでした。

第2次上京の話

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ネタバレから行くとシナップに就職します。現職です。

地元の時は選択肢が限られていたこともあって会社選ぶのには困らなかった(選ぶ以前に探す方だったので)のですが、さすが東京だと求人はいっぱいありました。ただWebの仕事って言葉が曖昧で、例えば「Webデザイナー」って会社によって仕事の範囲が全然違うんですよね。UIの設計からだったり、サイトのデザインだけだったり、HTMLのコーディングだったり、JavaScriptの実装だったりします。

つまり求人情報みても実際に何をするのかわからんのです。

新卒失敗の件やアダルト広告OK?などあったので警戒して、明確な判断基準を決めました。

「CMSツール MovableType が使えるから、これのパートナーやってる会社で、実装やる」

というものでした。最終的には MovableType の拡張したバージョンといえる、PowerCMSをやってみたかったので、こちらのパートナー企業にしたら触れんだろ、という心意気でPowerCMSのパートナーリストを開いて、当時一番上にいたシナップを発見しました。

シナップの条件を読み込み、良さそうだなと思ったので応募しました。新卒の時と同じく、二股するのもなーというのがあって1社入魂のエントリー。

距離があったので書類審査の後、最初の面接はSkypeでした。田舎者だったのでSkypeで面接とか驚きました。Skypeで面接。そういうのもあるのか。

初めてのことで、飲み物を用意するのも忘れ、自宅でPCとおしゃべりすること4時間、無事通過しました。内容はもう覚えて無いです・・・。

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次の面接は顔を合わせて、ということで新幹線でフラッと上京。すごく住宅地で地図があってるのか不安になりながらシナップに着きました。半ば迷子でした。初めて弊社に来られる方はストリートビューで確認してから来るのおすすめ。「シナップ」で検索するとちゃんと出ます。

和室で面接を行い(もう慣れましたが、和室に机と椅子がある不思議空間でした。内容はやっぱり覚えてない・・・・)通過。採用されました。交通費も全額支給でした。

この日、大寒波が来ており、帰りの新幹線が越後湯沢で動かなくなって新潟県長岡市(新幹線最寄駅)についたのが深夜25時でした。

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シナップで3年働いた話

入社早々これやってみたいわ、と思っていた PowerCMS の案件に投入され、半年の試用期間契約がすぐに繰り上げされ本契約となりました。win-win。

CMS案件ばりばりやったりしてるうちに3年経って4年目に突入。最近はSwiftしてたりします。あれれ。気がつけば社員入社順で真ん中くらいになりました。

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地方からやってきた人ががんばった事が評価され(?)シナップではついに「地方からの転職支援制度」が立ち上げられました。

本題、地方からの転職支援制度について

長い駄文お疲れ様でした。色々削ったり飛ばしたりしてみたのですが、素材が悪いんじゃないかな。自分語り難しいです。もっと聞きたい人はなんかのイベントの時か、別途ご飯誘ってください。(会社アピールすればご飯代はシナップが出してくれる社内制度があるから!)

さて、やっと本題です。なんかいろいろあって「地方からの転職支援制度」が制定されました。

具体的にどんな制度かというと、都内近郊ではない、地方在住の方が転職されてくる際に移転交通費・引越費などが支度金として支給されます(上限あります)。

詳しくは弊社サイトの採用情報の正社員のところをご覧下さい。

東京出て仕事してみたいとか、在地地域でWeb関係の仕事がないとか、能力ややる気があるのに地方で燻ってる人を引っ張ってこよう!というやつです。どんな人を募集しているか、どんな仕事をしているかは弊社サイトの採用情報や、実績・事例をご覧ください。

  • Six Apart、Movable Type、ProNet は Six Apart, Ltd. の商標または登録商標です。
  • PowerCMSはアルファサード株式会社 (Alfasado Inc.)の登録商標です。

現在、シナップでは新しい仲間を募集しています。

私たちは、クライアントのビジネス立ち上げから、サービスの継続的発展までのサポートを得意としている会社です。 自由度の高い環境で、あなたのアイデアを実現させてみませんか?
ご応募、心よりお待ちしております。