BLOG



おはようございます・こんにちは・こんばんは。フロントエンド担当の松島です。

先日 EPUB とウェブ実装技術の関係について書いた記事には、多くの反響を頂戴しました。ありがとうございます。

とくに、実際に EPUB の実装に関わる方々からご意見・ご指摘を頂戴したり、あるいは「読んでいて気持ちが熱くなった」といったお声をいただき、感激しました。

それを励みに EPUB 関連の活動に注力しておりまして、今週末の9月30日(金曜日)には、技術評論社さんが Gihyo Diginal Publishing 開始を記念して主催されるイベントで、トークセッションに出演させていただくことになりました。

「Webデザイン・Web制作から見る電子出版のこれから」というテーマで、主に「作る」の立ち位置からがんばって話しますので、お時間のある方は是非おいでください。

(タイムテーブルや会場のご確認、お申し込みは OpenCU イベントページ にてお願いいたします)

さて一方、前回の記事全体をみると中間部に長大な HTML / CSS 解説があるせいで、いちばん読んでいただきたかった最後の段落に集中して目を通していただけなかったかもしれない、という深い反省があります。電子出版にはウェブ関連制作者やその周囲の方々がひとりでも多く参加すべきと思っているので、それはもう海よりも深く。(あと、「いいね!」も逃しちゃったかなー、と。笑)

そこで、次回からあらためて、より実装に振った内容で、しかしながら専門家以外の方にもできるだけわかりやすく、すこしずつ書いていくことにしましたので、どうぞよろしくお願いいたします。

というわけで、今回は連載の予告です。あわせて、オリエンテーションとして少々大上段な前振りを書いてみます。

テーマは「小説の HTML マークアップを考える」。たとえば EPUB でたくさんの小説を電子書籍化する際のテンプレートとして使っていただけるような、できるだけ汎用的な HTML フォーマットを、ぼくなりに検討していきたいと考えています。

これが決定版だ! ......と宣言するのではなく、この場で試行錯誤をしていきたいというつもりでいますので、ご意見やご提案は大歓迎です。Twitter(@satorumurmur)やメール(satoru@sinap.jp)でお寄せください。

EPUB などの電子書籍や HTML に興味のある方のほか、日本語の書き言葉や、組版、文字全般にご興味・ご関心のある方からもぜひご感想を伺いたいと思っています。

では、「はじめに」です。次回から多少実践的になりますので、今回はすこし精神論におつきあいください。

(ほんとうは最初から中身の話をしようと思ったのに例のごとく悪いクセが出て前振りが長くなっただけだ、というのはひみつです)

文字、ことば、デザイン。表現にレイヤーはあるか?

小説のマークアップを題材にして、あわよくばフォーマットの標準化を狙うくらいのつもりで(冗談ですよ)始めるわけですが、そもそもマークアップとはなんでしょうか。ぼくなりに説明すると次のようになります。

全体の中の一部分に、他の部分と区別するための印をつけることで、
その部分の役割を明示し、他との意味合いの違いを示す行為。

まずはできるだけ一般化してみました。マークアップという行為自体は、その体系や成果物が HTML であるか XML であるかといったこととは関係がなく、より一般的なデザイン手法のひとつだと思っています。

とはいえ、たんに「マークアップする」といえばほとんどの場合、文字情報を HTML などのマークアップ言語でフォーマットすることを指します。複合的な文字情報に含まれる構成要素間の差異を際立たせたり、各部の性質を明言するための付加情報を添えたりすることで、送り手の意図を刻みつけて残しておく作業。そしてそれを通じて全体にフォーマットを与えることでもあります。

言葉は多様な伝えられ方・受け取られ方をされうるもので、話し言葉にも書き言葉にも一長一短、いえ、それぞれの特性があります。

たとえば話し言葉では、抑揚やリズムによる豊かな表現が可能な一方、複雑に言葉や文が相関する内容を伝えきるのはなかなかむずかしいです。また書き言葉では、口調その他でニュアンスの変化を伝えることができない半面、読み手自身の時間軸で読んでもらうことや、前後に行きつ戻りつしながら複雑な修飾関係などを把握してもらうことも期待できます。

いずれもそれぞれの特性を生かした話し方・書き方の工夫が表現の重要な位置を占めるのですが、とくに書き言葉・文字表現に関しては、一定のフォーマットによってニュアンスを共有する方法もよく使われます。これはマークアップの仲間であると思います。

身近な例を出してみると、たとえばワープロで見出しを太く大きくしたり、文中である一語の文字を傾けたりするのも、表現と即座に結びついたマークアップだといえるでしょう。それは文書の作成者による読む人のための行為であり、書かれている言葉自体には変更を加えずにフォーマットによって意図を示しています。

同じように、参考書の重要箇所にラインマーカで色をつけるのも、自分のためのマークアップといえるのではないでしょうか。

ワープロの例もラインマーカの例も視覚的な差異で意味づけを行っていますが、ここで視覚的な表現結果ではなく本文とははっきり違うものだとわかる記号や文字列を用いて、意味づけされる本文文字列のそばに添え書きする方式が、HTML などのマークアップ言語です。

そこに情報があり、それ自体にもすでに、伝えるための最低限の工夫が凝らされていて、さまざまな内容を受け取ることはできる。けれどもその理解には、受け取る側の受け手としての技量や、状況や気分や体調にすら左右されたブレが必ずあります。

そこにコミュニケーションの面白さがあるというのはもちろん否定しないのですが、送り手はときにこうも思います。「もっと、自分が思ったままを伝えたい。せめて、誤解はされたくない。」

また、文字列だけでは誤解される可能性があるような文字表現を、マークアップによる意味の補完によって、表現の一手法として候補にすることができるようになります。

国語の時間に「主語はここで動詞はここ」といったことをよくやりましたが、それがわざわざ学校で扱われるのは、ぼくたちがよくそれらに悩み、そこから誤解や曲解が生まれがちだからだと思います。もしくは、その勘所を掴んでおくことによって、より豊かな読み方・多様な表現の理解が可能になることが期待されるからでしょう。

国語教育の良い悪いはともかく、情報、とくに言葉というのはほんとうに伝わりづらいものなので、言葉をつかってなにかを伝えようと思ったら、より伝わりやすいように工夫する必要があります。それは、伝わりにくさを伝える、という遊びや芸術についてさえ、突き詰めれば同じことがいえます。(ここでいう「工夫」には、センスなどによる無意識の表現も含めています)

たとえば句読点で、文と文、主文と副文、主部と述部などを分けることで、より読みやすく、書き手の意図が伝わりやすくすることも、広くいえばマークアップのようなものでしょう。

一方、日本語には明確な正書法としての句読点ルールがありませんので、リズムを持たせて調子よく読ませるための句読点もよくあります。これは、マークアップ的な性質を含みつつ、言葉の内容への関与がより深まった句読点遣いかもしれません。

あるいは詩などに時々みられますが、句読点その他を使って雨のような効果を出したり、記号や空白によって沈黙やその他様々な感情を表現するものがありますが、これはもう、付加情報ではなく情報そのものといえると思います。と同時に、限られた素材を用いたグラフィックデザインともいえるかもしれない状況です。

また、こういうのはどうでしょう。

「別れましょう。」と彼女が言った。

「   な......、」と、あっけにとられて全角スペース3個分くらい沈黙したのち、ようやく間抜けな声が出た。でもそこから言葉につながらない。3点リーダが2個分くらい、のどをかすかに震わせた。




「別れましょう。」

窓の外に顔を向けたまま彼女もひととき黙っていたけれど、改行3個相当くらいの間に一層意思を固めたような調子で、こちらを見て、よりはっきりと繰り返した。

これが洒落た表現だとは到底思っていませんが、仮に「全角スペース3個分の沈黙」「3点リーダ2個分の震え」「改行3個相当の間」というならば、ここにある全角スペースや改行は、便宜やフォーマットのためではなく表現そのものの一部にとしてあることになります。良い悪いは置いておいて、こういう類の表現もできないではないのです。

「マークアップは伝えるためのフォーマットを与えるデザインだ」というようなことを書いてきましたが、そもそも文字は言葉の音と意味をあらわす記号であり、言葉だって意思や感情を定義する代替物ともいえます。(約物など、本文中で他の文字と同じように並んではいますが、これらはそもそもマークではなかったのか、と、いつも悩みます。)

情報の本体なのか、その代替物なのか、伝達のためのフォーマットなのか、というのは、分けきれるものではなさそうです。伝えるという行為や伝達される情報にレイヤーを想定しようとしても、その境界はいつも曖昧、あるいは、境界などないとさえ思えてきます。

でも、そこを、見つめるのです。

これから扱っていく内容を考えるとき、こうした「情報自体なのか、フォーマットなのか、視覚デザインなのか」というような悩みと向き合うことは避けられません。そしてご想像(あるいはご経験)のとおり、どのようにマークアップすべきか、というはっきりとした正解はありません。

したがってたいせつなのは、まずは自信を持って「妥当だ」といえる理由をみつける・理論をつくりあげること。そしてなによりそれによるフォーマットの成果が、「(小説が)『読まれるための』マークアップ」という当初の目的から外れないこと。さらにできれば、その思考過程や成果を共有し,育てることだと思います。

決定版を提示できるとははじめから思っていません。提案や指摘を相互に繰り返すためのタタキをつくれれば大成功で、もっといえば、ここでぼくが(みなさんと)考えたことが、より良くなっていくことが確実な(そう信じています)言葉のデザインの、おおきな流れのちいさな一部にでもなれればとても素敵だ、と、願うような気持ちで始める次第です。

それでは、次回からどうかよろしくお願いいたします。