記事広告と純広告 「純広告」はダメなのか?

2009.10.05

こんにちはシナップ大川です。

先日、某広告代理店のプランナーの方とお話をしていたのですが、広告業界の景況感の悪さはさておき、最近タイアップ記事、記事広告を求められるクライアントさんが増えてきているそうです。
タイアップ記事とは雑誌などでよくありますが、広告主のついた編集記事のことです。記事広告ともいいます。
ページのスペースを購入して自社の製品やサービスなどの広告を出す、いわゆる「純広告」とは異なり、編集部により、その雑誌の世界観、編集視点で取り上げられた記事で、一見するとその雑誌の記事のように見える広告です。


こうしたタイアップ記事の人気の背景には、消費者が広告をよく見てくれない、鵜呑みにしない、という背景があるようです。また雑誌側の視点で書く事により、第三者視点という立ち位置も、一方的に映る「純広告」よりも訴求度、信頼度が高いのでしょう。
実際、私たちは日々多くの広告に触れているため、雑誌をめくるときでも、広告と認識できるページは比較的にパラパラと読み飛ばしてしまいますが、気になる記事であれば、目を留めてしまい、結果それがタイアップ記事だったということは少なくありません。

一見すると広告主(見てもらい、興味を持ってもらえる)にとっても、雑誌の編集者(雑誌の世界観が保て、収益になる)にとっても、そして読者(興味があり、価値ある情報である)にとっても、一石三鳥のようなお話ですが、これがそれほど簡単ではないそうです。

こうした記事のもっとも難しい点は、編集と広告とのバランス、だそうです。
雑誌の編集側からしてみれば、それは雑誌の記事であって、世界観や視点は雑誌を体現するものであり、極力「広告臭さ」はだしたくない。一方で、広告主の方からすれば、お金を払っている以上、商品やサービスの宣伝になっていなければなりません。こうしてそのバランス取りは絶妙を求められるゆえに毎回大変な労力をするのだそうです。

さて、そんな話しをお互いにしながら、果たして「純広告」はダメなのか?という話しになりました。本当にダメなのでしょうか?
結論から言いますと、タイアップか純広告かではなく、結局のところ受け手に取って有益か否か、見る価値があるか否かの問題ではないかという話しになりました。
私たちは思い出に残る広告や、グッときてしまう広告をいくつも思い出す事ができるでしょう。惹きつけられる広告にはやはり力があります。「純広告」がダメかといえばそうではありません。見る価値があるかないかです。一方で明らかに「宣伝」の匂いのする記事広告はやはり気には留めないでしょう。

内容次第、といっては身もフタもありませんが、作り手として意識すべきは、掲載手法もさることながら、内容がなければ訴えかけられないということに落ち着きました。

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